国内実施は約20年ぶり!進化する宇宙飛行士候補者訓練、その全貌は

2023年2月末、14年ぶりに日本人宇宙飛行士候補者が発表された。世界銀行上級防災専門官の諏訪理さん、日本赤十字社医療センターの外科医、米田あゆさんはその後、JAXAに入社。現在は約20ヶ月に及ぶ基礎訓練の真っ最中だ。

実は彼らはまだ宇宙飛行士「候補者」であり、正式な宇宙飛行士ではない。基礎訓練などの過程を経て宇宙飛行士に認定される。いったいどんな訓練を行っているのか。実はこれまでの日本人宇宙飛行士11名のうち8名は、候補者に選抜された後にNASAで基礎訓練を受けてきた。今回は約20年ぶりに日本国内で基礎訓練が実施されているという。

その基礎訓練について、今回、計画立案から実施の一部で宇宙航空研究開発機構(JAXA)を支援しているのがJAMSS(有人宇宙システム株式会社)だ。JAMSSは1998年からJAXAからの委託を受けて日本や世界の宇宙飛行士訓練を支援してきた実績をもち、さらに、国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟の運用管制を行うフライトディレクタや管制員を数多く輩出している。有人宇宙開発のプロ集団である。

JAMSSの有人宇宙開発の実績と知見が、今回の基礎訓練にどのように活かされたのか。宇宙飛行士訓練インストラクタ、JAMSSの醍醐加奈子さんに聞いた。

宇宙飛行士訓練インストラクタへインタビュー

宇宙飛行士訓練ってどういうもの?

JAMSSの醍醐加奈子さん。宇宙飛行士訓練インストラクタであり、ISS「きぼう」日本実験棟の管制員(交信担当)も務める。2012年にはNASAが有人宇宙飛行に大きく貢献した人物に贈る「シルバー・スヌーピー賞」を受賞した。©JAMSS

―そもそも宇宙飛行士訓練ってどういうものでしょう?

醍醐加奈子(以下、醍醐):飛行前の宇宙飛行士訓練には3つのフェーズあって、宇宙飛行士候補者に選ばれた後に受ける「基礎訓練」、宇宙飛行士になってから受ける「維持・向上訓練」、宇宙飛行(搭乗ミッション)が決定してから受ける「インクリメント固有訓練」があります。2009年に油井飛行士や大西飛行士らが宇宙飛行士候補者に選ばれた時は、基礎訓練はNASAで受けているんですよ。

―NASAのアスカン訓練(Astronaut Candidate Training=宇宙飛行士候補者訓練)ですね。日本で基礎訓練を行ったことはあるんですか?

醍醐:1999年に星出飛行士、古川飛行士、山崎飛行士が選ばれた時の基礎訓練は日本で行いました。その時もJAMSSはお手伝いさせて頂いたのですが、この20年で日本の有人宇宙開発は大きく進展しました。2008年に「きぼう」日本実験棟が打ち上がって、宇宙飛行士訓練インストラクタや管制員が育ち、「きぼう」の運用管制の膨大なノウハウが蓄積されています。

―「きぼう」を24時間365日見守る中で、宇宙飛行士に何が求められるか、地上の管制員らとの役割分担などのノウハウが蓄積されてきたわけですね。以下の20年前のJAXAの資料を拝見すると、基礎訓練は基礎工学やサイエンス、ISSのシステム、飛行機操縦訓練や語学など約230科目で訓練時間は1600時間とあります。そもそも訓練内容は国際的に決められているのでしょうか?

ISS搭乗宇宙飛行士候補者の基礎訓練の流れ。JAXAウェブサイトの1999年5月の情報(出典:JAXA)

醍醐:国際的なガイドラインがあってどういう項目を訓練するかは決まっています。でもそれぞれの機関が、どの分野をどう訓練するかは任されています。

―なるほど。科目数とか訓練時間は20年前と変化はありますか?

醍醐:20年前と要求される項目自体は変わっていませんが、提供方法が違います。JAXAさんからは、できるだけ民間の知見をいかした訓練を行いたい、とリクエストをもらっています。例えば基礎工学の中で「電気・電子」という項目があります。20年前は大学の先生が講義され、小さな回路を作ったりしていました。今回は日本大学が開発し、途上国などのエンジニアの訓練にも使われている超小型人工衛星のトレーニングキットに電気電子分野の実習を加えてもらい、より実践的な内容を行いました(次回、詳しく紹介予定)。訓練には実際に指導を行っている学生さんに、TA(助手)として関わってもらいました。

基礎訓練の目標とは?

―面白そうですね。そもそも基礎訓練の目標は、どんなところにあるのでしょう?

醍醐:まずは様々な分野から選抜されてきた方々の土台をならし、宇宙飛行士としてのスタートラインに立つレベルにもっていく。基礎訓練は主に日本で行いますが、その後の訓練は日本だけではなくNASAやESA(欧州宇宙機関)などでも行います。宇宙飛行士候補者たちは、これからNASAや世界の宇宙飛行士たちと一緒に訓練を行っていくことに不安を感じているかもしれません。我々は、NASAや各国が次の段階で実施予定の訓練内容を把握しています。また世界の宇宙飛行士たちを訓練してきた実績から、「このレベルまで訓練をしていれば大丈夫」と言えます。逆に、やりすぎても吸収しきれない。宇宙飛行士候補者たちが自信をもって今後の訓練に臨めるよう、その見極めを大事にしています。

―やりすぎてもダメなんですね。

醍醐:宇宙飛行士にとってのゴールは訓練ではありません。ゴールはあくまで宇宙でミッションを成功させること。なので一般的に多くの宇宙飛行士候補者はとにかく頑張って勉強します(笑)。それは、「どれだけ知らないといけないか」イメージがないからです。シニア宇宙飛行士は、「ここはわかってないとやばいな」というところは慎重に確認してくる。そのポイントを掴むためには、ISSの「運用の感覚」をある程度わかってもらうのが大事です。

ISSの運用の感覚とは?

―運用の感覚とは?

醍醐:ISSを安全にオペレーション(運用)する文化がどういうものか。具体的には、宇宙飛行士に何が求められて、地上の管制員は何をするのか、お互いにどういう役割分担があって有人宇宙飛行の世界が回っているのか。NASAの訓練は、それを理解していることを前提として行われます。自分の責任の範囲がわかれば、勉強する範囲がわかってくる。教科書の端から端まで読んだら365日勉強しても足りないですからね。

 

今回、宇宙飛行士候補者基礎訓練に新たに加えられた訓練の一つが、「きぼう」運用管制員向け訓練。具体的には宇宙飛行士が「きぼう」で作業を行う際に地上から交信を行うJ-COM(JEM Communicator)の訓練を実施中。写真は訓練中の米田宇宙飛行士候補者と訓練を担当するJAMSS社員。運用管制員向けの訓練を受けることにより、「きぼう」のシステムに関する知識習得に加え、実際にISSへ滞在する際の地上の対応についても把握できるようになる。©JAXA

―ISSの運用のポイントとは、具体的にはどんなことでしょう?

醍醐:例えば何度も繰り返し訓練するのが、緊急時の対応です。宇宙で何より優先されるのは宇宙飛行士の生命で、その次に宇宙機などの機械です。有人宇宙飛行のフィールドにいると、常識すぎるぐらい当たり前ですが、他の分野の方とお話しすると、機械の健全性が優先順位のトップに考えられているなと感じることがあります。我々は常になによりも人命を優先します。

基礎訓練を担当する人はどんな人?

宇宙飛行士たちに訓練をする醍醐。訓練インストラクタは1~2年の訓練を経て認定される。「きぼう」やISSの技術知識、語学、インストラクションなどすべての評価項目に合格するまで試験を受ける。模擬訓練では先輩インストラクタが宇宙飛行士役になり、あえて変な質問を繰り返すなどして「伝える技術」を鍛える。©JAXA

―なるほど。ところで基礎訓練を行うのはどんな方ですか?

醍醐:JAXA職員や私たち訓練インストラクタ、大学等の研究者だけでなく、民間企業の知見を取り入れてほしいというJAXAさんの方針を受けて、JAMSS以外の民間企業も訓練に参加しています。宇宙飛行士は、特別な存在にとらえられがちですが、一般の人と変わらない。それを理解してもらうためにも、訓練を通して対面でアクセスする機会があるといいですよね。企業や団体にとっても、自分たちがやっていることが宇宙飛行士訓練に貢献できるとなれば、新たな発見や知見になる。様々な方に参加してもらおうと今も訓練を準備中です。

日本でも宇宙飛行士は育成できる!?

NASAが2017年に選んだ宇宙飛行士候補者の基礎訓練風景。地球惑星科学をフィールドで学ぶ ©NASA/Norah Moran

―他国の基礎訓練と比べて感じるところはありますか?

醍醐:NASAもESAも、ほぼ同時期にそれぞれの基礎訓練を行っています。NASAは半世紀以上継続しているので内容は充実していますし、ESAは少し前からNASAに頼らず、独自に基礎訓練を行っています。彼らには最初にNASAから教わるけれど、その先には独自の知見を発展させるという目的があります。NASAもESAもそれぞれの強みを生かした特色があるように思います。

―日本はどうですか?

醍醐:日本は20年前に基礎訓練を国内で実施してから間があいたので、この20年間のISS運用や将来探査の動向も踏まえ、今回はほぼゼロから訓練を作り上げています。訓練内容だけでなく、プランニングのやり方から構築しなければならなかった。でも国内で基礎訓練を実施することで、何をどうすればいいのか見えてきたのはいい面だと思います。2回目3回目と継続すれば、日本流の独立した「宇宙飛行士の育て方」について、知見やノウハウを獲得できるのではないでしょうか。

―今回の宇宙飛行士候補者募集では、自然科学系だけでなく文系や芸術系などあらゆる分野の方の応募が可能になり、条件が大幅に緩和されました。基礎訓練の内容に影響しましたか?

醍醐:それも新たな知見の一つです。様々な専門分野の方が基礎訓練に参加しても問題ないよう、検討しました。宇宙飛行士はとても優秀だからすごく難しい訓練をやっていると思われがちですが、最初から難しいわけではなく、訓練を通していかに習得していくかが重要です。

商業飛行や月、惑星探査の訓練も「基本は同じ」

―JAMSSさんは米国のAxiom Spaceから民間人の宇宙飛行士訓練を受注されるなど、プロの宇宙飛行士だけでなく民間人の訓練も行っていますよね。訓練の内容は違いますか?

醍醐:基本的なことは同じです。参加者の目的などによって多少チューニングする可能性はありますが。

―例えばAxiom Spaceの2回目の宇宙飛行では、サウジアラビアの二人の宇宙飛行士も筑波で訓練されました。「きぼう」についてどんな訓練をされましたか?

醍醐: ISSの各実験棟はつながっているので、「きぼう」に入った時に緊急事態が起こったらどうするか、JAXAの大事な実験を行っているときに何に気を付ければいいか、などを訓練します。商業宇宙飛行はまだ始まったばかりで、今後どこまで活動の範囲を広げられるか見ている段階です。でもどんな目的があったとしても、宇宙では命が最優先されることは変わりません。

Axiom Space社による2回目の民間宇宙飛行士ミッション(Ax-2)の訓練の様子©Axiom Space

―ISSは2030年で退役することが予定されています。この先、宇宙飛行士訓練で得た知見をどう生かしていきたいですか?

醍醐:ISSに限らず、月でも火星でも商業宇宙ステーションでも、活動の内容は変わりますが、宇宙飛行士の動き方や考え方の根本的な部分が変わることはありません。民間飛行士の訓練で実感しましたが、NASAやESA、日本、ロシアなどが築いてきたISSという有人宇宙基地のフィールドは決して当たり前ではない。過去にNASAの方から「Continuity(継続)こそが重要だ」と言われたことがありますが、せっかく得た有人宇宙開発の知見を維持しないと、過去にやったことも失われてしまう。特に人に宿った知見を残さないと次につながらない。続けることが大事だと思っています。

―宇宙飛行士をたくさん訓練してきた醍醐さんは、自分が訓練した宇宙飛行士の活躍をどんな風にご覧になっているのですか?

醍醐:自分が直接会って話した人が宇宙にいるのは、不思議ですよね。何度経験しても「あ、彼らは宇宙飛行士なんだ」とその時初めて思います。彼らの仕事に関わったんだなと思うと格別な想いです。今回の基礎訓練を通して、より多くの関係者や講師の皆さんにもそう感じてもらえるよう、良い基礎訓練にまとめられればと考えています。

 


執筆者紹介

林 公代(はやし きみよ)

福井県生まれ。神戸大学文学部英米文学科卒業。日本宇宙少年団・情報誌編集長を経てライターに。世界のロケット発射、すばる望遠鏡(ハワイ島)、アルマ望遠鏡(南米チリ)など宇宙・天文分野の取材・執筆歴20年以上。

「るるぶ宇宙」の監修務めるなど、幅広い分野で活躍。「さばの缶づめ、宇宙へいく」(小坂康之氏と共著)、「宇宙に行くことは地球を知ること『宇宙新時代』を生きる」(野口聡一飛行士、矢野顕子さんと共著)『星宙の飛行士』(油井亀美也飛行士と共著)など宇宙飛行士との共著多数。

Webサイト:https://gravity-zero.jimdo.com/
Twitter:https://twitter.com/payapima

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